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続編:
[些細な出来事なのダ]


1.  はじめに
2.  入院までの道のり
3.  HI病院 の住み心地
4.  入院その後、そして。。
5.  告知
6.  寛解導入療法
7.  お見舞いアリガトウ
8.  地固め療法
9.  福岡西方沖地震
10.  ダブル入院!?
11.  クリーンルームの住民
12.  再び「無菌室」へ
13.  退院へ
14.  一般病室のこと
15.  入院中に買ったモノ
16.  退院!!
17.  自宅療養
18.  復職後
19.  2006年の出来事
[1][2][3][4]
20.  2007年の出来事
[1][2][3][4]
21.  2008年の出来事
[1][2][3][4]
22.  2009年の出来事
[1][2][3][4]
23.  2010年の出来事
[1][2]
24.  あとがき

[些細な出来事なのダ]
に続く...


[ 番外編 ]
-  私も入院したのダ -
by YUKO

1.  入院
2.  眠れぬ病室の夜
3.  治療前の事
4.  闘病仲間
5.  その後
6.  洗濯 & HS温泉
7.  退院までのこと



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8. 地固め療法 (2005年2月21日 - 8月12日)

私の場合の「地固め療法」は、基本的に「抗ガン剤」の点滴だけである。具体的には、
1) 抗ガン剤投与を行い、白血球数を減らす。
2) 減った白血球数が再び上昇し、2000 個/μl 以上になったら、終了。
となる。これを4回行うと退院できるのだ!!


◎ 地固め療法 1回目 (2月21日 - 3月24日)

2月21日、「中心静脈カテーテル」を刺す。
なおこの21日も結局、38℃台に上がらなかった。高熱は治まったのだろうか?

翌日の2月22日より、抗ガン剤「イダマイシン」4日間投与。オレンジジュースのような液体である。1回1時間ぐらいで済むのが救い!! ちなみにこの22日は吐き気も起こらなかった。このまま起きないでくれ、と願った。

ところが翌23日から激しい吐き気!! 次いで胃もたれ。やっぱり起きてしまった。。
この吐き気は1週間ぐらい続く。胃もたれはさらに2週間。。。 イヤになる。

そんなこんなで今回の抗ガン剤が終了した夜、とりあえず終わったということでヤレヤレといった感じ。そのとき突然、悪寒が!! そして38℃台。異常な寒気でカタガタする。
また「38℃台に上がる」周期を繰り返すのかヨ!! ウンザリ。。。
看護婦さんに鎮痛剤を点滴してもらった。前と同じように身体が火照ってくるが、やがて熱は37℃前半まで下がる。

なお繰り返しを恐れていたのだが、今度のは単発であった。すなわち再び38℃台に上がることは無かったのである。非常にウレシかった。ちなみにその後、38℃台まで上がったのは「4回目の地固め療法」の時だけ(この時は悪寒は無し)。不思議である!!

3月上旬には、2月18日に行った「寛解導入療法」終了時の骨髄穿刺(マルク)の最終検査結果が出た。「完全寛解」になっているそうである。ヤッターーー!!

ところで白血球数は3月12日ぐらいに最低になった。この時の白血球数は約 1100個/μl
その後、3月22日になって約 2300個/μl (2000超!) に急上昇!! 外泊が決まる。
この22日には、「中心静脈カテーテル」も外した。この時は特に高熱も出ていないので、代わりに別の点滴針を刺す、ということは無しである。

約1ヶ月ぶりの「チューブの繋がっていない」生活になった。23,24日にはシャワー室にも行く。やっぱり風呂はいいね(シャワーのみだけど。。)

そして3月24日、骨髄穿刺(マルク)。これで1回目の「地固め療法」は終わった。。。

なお今回の「地固め療法」途中の3月20日には、福岡で大変な事が起こった。地震である。これについては別項で書くことにする。


◎ 外泊 2回目 (3月25日 - 3月27日)

今度も朝9時頃、帰宅。家では「今回、外泊したらやりたかったこと」を行った。
まずは新規購入した液晶TVの設置を行う。買った理由は病気とは関係ない。地震で壊れたテレビの買い替えである。

次いで部屋の壁の幅&高さの計測。退院後の自宅療養に対する備えである。実は自宅療養後もしばらくは、ほとんどの時間を寝室で過ごさなくてはならない。いろいろ動き回ったら、感染リスクが高まるからだ。

というわけで、退院後に寝室までLANケーブルを引こうと思ったのである。無線LANはどうも速度が安定しなさそうで、イヤだ!!

唐突であるが、1回目の「地固め療法」の時に両親が見舞いに来た時の話。
実はその時に無理を言って自宅まで来てもらい、壁に穴を開けてもらう。LANケーブルを通すための穴である。丸く綺麗に空いており、仕上げも丁寧になされていた。どうもお手数お掛けしました!!
なお技術的には私にも出来る。しかしホコリが出る作業なので、白血病には良くないのだ。。。

さらに他にもいくつか作業を行う。

27日の夜、YUKO が病院まで送ってくれる。ただ YUKO は夕方、ある会合に出席しなければならない。ということで、病院には PM10時までに帰ると言ってあった(10時消灯の為)。
しかし結局は10時を少し越えてしまう。ご迷惑お掛けしました。


◎ 地固め療法 2回目 (3月28日 - 5月13日)

3月28日に「中心静脈カテーテル」を刺し、3月29日より抗ガン剤「ノバントロン」を5日間投与。前回と同じく1回1時間。この「ノバントロン」は「イダマイシン」より強い薬らしい。一抹の不安。

ブルーハワイのような薬品が身体に入っていく。こんな色のモノが体にやさしいわけが無い。案の定、その日の内に吐き気が襲ってきた。当然、胃もたれも。。。
それも(強い薬と)言われた通り、「イダマイシン」の時よりさらにキツイのだ!!
結局、吐き気は10日、胃もたれはさらに20日続いた。

さらに4月8日には白血球数は 200個/μl 台になってしまった。過去最低で、正常者の数十分の一。さすが強力な薬品だ。それからわずかに増えてはきたが、4月24日までの2週間強の間は、400〜500個/μl ぐらいをさまよっていた。長すぎる〜〜〜

4月26日になって、ようやく白血球数が上昇開始。5月10日には「中心静脈カテーテル」も外す(代わりの点滴針も無し)。
そして5月13日、ついに 2000個/μl を超えた。外泊である。ちなみに骨髄穿刺(マルク)は外泊後ということになった。

とりあえず、2回目の「地固め療法」終了!!


◎ 外泊 3回目 (5月14日 - 5月16日)

やはり朝9時頃、帰宅。今回も外泊時の実行計画通りに事を進めるつもり。
実は外泊前に2種類ほどブツを注文していて、既に自宅に届いている。それを設置するのが目的だ。

まずはTVアンテナコード周りを入れ替えた。新しい液晶TVには、それまでのTVに付いてなかった「BSアナログチューナー(今更だが)」が付いている。にも関わらず前のTVに使っていた2分配器では(分配数が少なすぎて)、BSアナログ端子に繋ぐことができなかったのだ。

ということでどうせ(分配器を)買い換えるのなら、アンテナケーブル周り全体を、もうすぐ福岡にやってくる「地上波デジタル」のクラスに合わせたい。そこで「高規格アンテナケーブル」「高規格6分配器」を注文していたのである。
ちなみに「地上波デジタル」を受信できる装置(チューナー等)は、まだ持っていない。よって実際には、地上波デジタルを見ることはできないのだけれど。。。
しかしそのうち安くなるだろうから、それまで待つことにする!!

とにかくコレを取り付け、BSアナログは視聴できることを確認した。

もう一つ実行したのは、新たな本棚の組立&設置である。これまで家にある本は本棚からオーバーフローを起こし、到るところに散乱していた。さらにそれでも入りきれない書籍はダンボールに詰めた状態で、廊下に置きっ放しになっていたのだ。
つまりコイツらはホコリを貯め続け、それによって清潔な部屋から遠ざかっていたというわけ。ホコリは白血病の大敵である。

それを打破するために買ったのが、天井まで届く「突っ張り棚」。高さに対し、幅が狭いタイプである。そこで幅を確保するため、4個並べることにした。
これでかなりの書物が収納できるはず。

ちなみに4個並べるということは、4個組み立てるということである。これが結構重労働。
でも、とにかく完成させた。その後の本の整理は YUKO にまかせたゾ。。。

計画通りに作業は終了した。5月16日の夜8時ぐらいに病院に戻る。


◎ 地固め療法 3回目 (5月17日 - 7月6日)

5月17日、骨髄穿刺(マルク)。今回は外泊後に行った。そしていつもの「中心静脈カテーテル」刺し。
翌日、5月18日に抗ガン剤「イダマイシン」を1日だけ投与。1日だけなので高をくくっていたが、やはり吐き気&胃もたれは起こった。ただし地固め2回目よりは症状は軽く、期間は短かい。

5月30日ぐらいに底になり、白血球数が 1100〜1300個/μl の範囲で停滞。6月10日になってようやく 1400個/μl に回復してきた。これを上昇気運と判断し、「中心静脈カテーテル」を抜く。
すなわち「このまま白血球数が上がる」→「白血球が多くなるので感染症にならず、以後"抗生剤"を(カテーテルから)点滴することもないだろう」と踏んだわけだ。

しかし何とその後、また 1300個/μl 台に戻ってしまった。しかも6月16日になっても上昇しない。
ちなみにあまりに長期間、白血球が少ないのは良くないことらしい。上がらない理由は、単球(白血球の一種)の比率が高いままになっており、それが造血作用を阻害しているためとのこと。参ったな。。。

そこで当日(6月16日)、ステロイド剤「ソルコーテフ」を4日間点滴することに!! ステロイドは造血刺激を促すために用いられることもあるらしい。
ただ困ったことに既に「中心静脈カテーテル」は抜いている。新たに点滴針を刺すしかないのだ。以前の "点滴針注射 失敗の繰り返し" を思い浮かべてしまう。

しかしながら今回の点滴は1回に付き30分ぐらいである。これぐらいなら、じっと横になっていてもよかろう。ということで、いつもの採血と同じ場所に刺すことになった。肘の内側である。
ここの血管は少し太いので、失敗することはほとんど無い。でも関節部分なので、動かすことができないのだ!!

6月20日、ソルコーテフ投与後はじめての採血。何と白血球数が 1200個/μl になっている。下がっているではないか!! その原因を探るべく、急遽、骨髄穿刺(マルク)を行うことになった。主目的は、骨髄の中にある単球の数を調べることである。
結果、「骨髄内で単球が異常に増えすぎている」わけでは無い、ということが分かった。しょうがないので「しばらくの間、追加のステロイド剤を打つ等の処置はせず、様子を見ましょう」ということに。。。

6月23日、再び採血。白血球数の上昇を期待!! しかし結果は、白血球数 930個/μl 。さすがに落胆してしまった。今回の地固め療法で、最低の値である。
どうして下がり続けるノダ!!

そしてその翌日の6月24日。今日はマルクの遺伝子レベルでの結果が出る日。朝の9時半頃、予定外の採血することになる。ナゼ???
さらにこの結果を聞いて、ビックリ!! 白血球数 1490個/μl 。1日で 500個/μl 以上も上がったことになる。こんなこともあるんだ!?
ちなみに遺伝子レベルでの結果は陰性。すなわち「完全寛解」を維持しているということ。ということで、さらにそのまま様子を見ることになった。ところが。。。

6月27日の採血で再び白血球数 1030個/μl に下がる。この頃になると上がっても下がっても、一喜一憂しなくなった(オイオイ)。なお下がった理由を K先生が説明してくれる。
「ステロイド剤はちゃんと効いていて、一時的には良くなった。しかしソルコーテフは弱いステロイドなので、すぐに効き目が無くなったのでは」、ということらしい。

そんなわけで、もっと強いステロイド剤「ソルメドロール」を3日間点滴することになる。1回当たりの強さ(力価)は、ソルコーテフに比べ7〜8倍だとのこと!!

6月30日、採血。なぜか結果は白血球数 900個/μl で、今回の地固め療法の最低を更新!! ソルメドロールが効かなかったのか、まだ効き始めていないだけなのか???
とりあえず翌日(7月1日)に再度、骨髄穿刺(マルク)を行うことになった。再び遺伝子レベルで検査するそう。

このまま白血球は上がらないのか!! ちなみに白血球数が 2000個/μl 以上になってくれないと、今回の地固め療法は終わらない。すなわち外泊もできないし、次の地固め療法にも移れないノダ。

ところがどっこい!!「地固め療法 3回目」の終了は、あっけなくやってきた。

7月4日、採血をする。数時間後、看護婦さんが結果を教えてくれたのだが、
    白血球数 2340個/μl
だとのこと。エッ、前回の採血で「今回の地固め療法」最低記録だったのに、何かの間違いじゃ??? 

間違いじゃなかった。「ソルメドロール」は効いていたわけだ。
"弱った造血機能に 喝!!" っていう感じだろうか。素直に嬉しい。
K先生と相談し、急遽 7月6日の外泊が決まる!! すぐに外泊しても構わないとのことであったが、6日の朝に「骨髄シンチ」の検査があるので延ばすことにした。数日延びちゃっても今までのことを考えれば、どうってことナイ!!

ついでだったので、K先生 に「顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF 商品名:グラン)」のことも訊いてみた。グランとは好中球(白血球の一種)を増やす薬だ。「これを使っていたらどうなっていたのか?」と疑問に思っていたのである。
骨髄性白血病患者にグランを投与すると、好中球も増えるが「白血病細胞」も増える。ただ全員、白血病細胞が増えるわけでは無い。このことは知っていた(約半数の患者で増えるらしい)。
しかし急性前骨髄性白血病(APL)の患者では、白血病細胞が増加する確率が「他のタイプ」よりもかなり高いそうだ!! そのため K先生のところでは、感染症を併発してどうしても白血球数を上げなければならない場合にのみ、グランを使っているとのこと。
なお APL の人がグランを使うと、本当に(他より)白血病細胞が増加する確率が高いのかどうか後日、ネットで調べてみたがよく分からなかった。もしかして K先生の経験上、そのような結果になっている、ということなのかもしれない!?
ただ白血病細胞が増加すると、抗ガン剤投与の効果が確実に減ることになる。あんなに苦しい思いをしたのにネ。でも(好中球が少ないまま)感染症になってしまったら、もっと大変なことになるが。。。
まぁ、他のタイプでも半数ぐらいは白血病細胞が増加してるようだし、感染症などのリスクも考慮しつつ、慎重に判断しなければならないということなのだろう。

そんなわけで7月6日のAM9時頃、骨髄シンチ。これでようやく3回目の「地固め療法」が終わった。。。

追記)
ところで今回の「地固め療法」の途中にも、大変な事態が起きてしまった。YUKO(=妻) まで入院しちゃったのだ!! 
さらに私の方も、YUKO の入院中に "とある理由" により「無菌室」に移ることになる。


◎ 外泊 4回目 (7月6日 - 7月8日)

AM10時頃、帰宅。自宅での昼食後、病院に内服薬を忘れてきたことを気づく。YUKO に取りに行ってもらった。スミマセン。。。

今回の外泊では、当初退院後に行う予定だった「寝室までのLANケーブル設置」を前倒しで行うつもり。これで退院時には、すぐにブロードバンドによるインターネットができるはずだ!!

なおLANケーブルは、できるだけホコリが溜まらないように設置しなければならない。しかし天井裏、壁内、床下等に敷設するのはムリというもの。というわけで、天井、壁、床のいずれか、もしくは組み合わせて這わせることになる。当然、配線はマル見えだ。

また這わせる面はなるべく傷つけたくないので、「壁紙等の上から粘着テープで留める」タイプのグッズで取り付けたい。
この条件だと、天井の場合、粘着テープが弱いと落ちてきそうである。また床に敷設すると凸凹になってイヤ!!

結局、壁が無難ということになる。その場合「床ギリギリ」か「天井ギリギリ」のところの壁に這わせるのが普通であろう。床ギリギリはホコリが溜まりやすそうなので、「天井ギリギリ」の敷設とした。

具体的な作業は、まずほぼ等間隔に「タイマウント」という器具を壁に貼り付ける。そしてタイマウント上にLANケーブルが来るようにして、そのLANケーブルとタイマウントを「ケーブルタイ」で固定する。といった手順となる。

またLANケーブルは「長いのを1本」敷設するのではなく、数本を直列に繋ぐことにした。これにより、どれかのケーブルが壊れてもそのケーブルのみ交換すれば良くなる!!
そしてこのLANケーブルどうしを繋ぐ器具が「LAN用延長コネクタ」である。

なお計画段階では、「タイマウント」の他にもいろいろなグッズを検討した。しかしデザイン性と保守性を考えるとこれに落ち着いたノダ!!

工事が終わると、さっそく寝室でインターネットをやってみた。さすがに速い!!
この後、ネットを利用した作業をいくつか行う。

そして8日の夜、8時前に病院に戻った。


◎ 地固め療法 4回目 
(7月9日 - 8月12日 :この項では8月11日まで記載)

最後の「地固め療法」である。これが終われば退院!!(予定)

7月9日の朝、「中心静脈カテーテル」を刺す。その直後、抗ガン剤「キロサイド」を投与開始。「寛解導入療法」の時もキロサイドを使ったが、今回はその40倍の濃度だそうだ(1日4グラム)。Ara-C大量療法というらしい。
期間は3日間で、1日2回。1回に付き、約2時間かかる。

ちなみに前回の地固め療法の終了間際に行った骨髄穿刺(マルク)も遺伝子レベルで陰性。ただ骨髄シンチの検査結果は、やはり造血作用が弱っているとのこと。。。

副作用の方はというと、キロサイド投与初日から頭が重い。翌日からは 頭痛、胸痛、発疹、吐き気、胃もたれ 。。。 吐き気と胃もたれ以外は他の抗がん剤の時は見られなかった症状だ!! その中でも頭痛と胸痛は結構シンドい。
キロサイドは他の抗ガン剤と異なり脳まで達するので、副作用として頭が痛くなることがあるらしい。ちなみに白血病細胞が脳にまで入り込んだ可能性がある場合は、脳まで達することが逆に役に立つそうだ。そしてその場合は脊髄より注入するとのこと(ルンバールという)。
私の場合はルンバールの予定は入っていない。他の文献によると、Ara-C大量療法をした場合はルンバールの必要は無いそうである。

胸痛の方はレントゲン検査でも異常は無く、
「キロサイドが胸膜に炎症を起こさせたのでしょう」
とのこと。
その後、頭痛、胸痛、吐き気は5日間ぐらいで直る。発疹も数日で消えた。

吐き気、胃もたれに関しては他の抗がん剤より軽かった。結局、胃もたれも2週間ぐらいで治まる。

副作用の話はまだ続く。7月11日の深夜(実際には12日をまわっている)、ようやく抗ガン剤が終わった頃、気分が悪い感じで目が覚める。気になって体温を計ると、38.5℃!!
久しぶりの38℃台だ。解熱剤を点滴すると、しばらくして37℃前半になった。
なおこの時も「38℃台に上がる」周期の再来を恐れたが、単発だった。ヨカッターーー。

ともあれ、本当にキロサイドは他の抗がん剤と(副作用の)性格がかなり違うみたいだな。摩訶不思議である!!

ところで白血球数の方はというと、抗ガン剤投与最終日(11日)の時点で、4390個/μl。入院してから最高の値だ!! しかしその次の採血(15日)では 910個/μl に激減。
19日からは底値となり、300〜400個/μl 台をウロつくようになった。効き目は結構強いようだ(K先生から強い薬であることは聞かされていたが)。。。

なお7月25日からは再び髪の毛が抜けるようになってしまった。「寛解導入療法」以来の出来事。
「寛解導入療法」の時はマダラハゲになった段階で抜けなくなり、その後「3回目の地固め療法」の時まで大丈夫だった。そのためこれまで順調に伸びてきていたのだ!! ここで抜けなければ、退院時にはもう少しマトモな長さになっていたはずなのに。少し悲しい。。。
どうせまたすぐに生えてくるから、と自分を納得させる。

7月28日、血小板輸血の際にジンマシンが出る。今まで何回も血小板の輸血を行ったが、こんなことは初めてだ。発疹の数は少しだが、痒い!!
抗アレルギー剤を点滴の管から流し込んでもらった。しばらくして治まる。

7月末になってくると舌苔が生えてきた。舌苔というのは、舌の味蕾の部分が苔のようになることで、私の場合は何となく黄色っぽい!! 味覚異常の原因の一つかな??
ちなみに3回目の地固め療法終了まではずっと生えていたような気がする。キロサイド投与後に一旦無くなって喜んでいたのだが、結局また生えてきてしまった。。。

8月10日、ようやく抜け毛が減ってきた。この時点で、既に「寛解導入療法」の時より毛量が少ない!! 思い切ってスキンヘッドにすることにした。看護婦さんにバリカンで刈ってもらう。

ただスキンヘッドと言っても、実際には1mm程度の髪の毛がまばらに生えてる感じ。そしてこの長さでの抜け毛は、チクチクして痛いだろうと予測できた。このため抜け毛が減るまでバリカン刈りを保留していたのである。

なお白血球数は8月1日になって上昇開始。その後、停滞することも無く、8月11日には 2300個/μl になった。前回の地固め療法の時とは違い、すごく順調である。今回は前回より強力な抗ガン剤のはずなのに不思議だ!!
実は、今回も白血球数が長期間停滞するだろうと予測されていた。そしてもし停滞が長引けば、「蛋白同化ホルモン」を投与する予定になっていたのである。この蛋白同化ホルモンはステロイドの一種で、前回のステロイドと同様、造血刺激を促す作用がある。
何と、スポーツ選手がドーピング検査で引っ掛かったりする「筋肉強化剤」と同じようなものらしい。もし打ってもらっていたら、私も筋肉隆々になっていたのだが(ウソ)

ただ順調に上昇を開始した白血球に比べ、血小板、赤血球の上昇が遅い。前回までは血小板や赤血球が増えた後に白血球数が増加したのだが、今回は逆である。少し不安。。。
しかし血小板は8月8日、赤血球は8月11日に上昇するようになった。もう問題は無い!!

→ 以後、13. に続く。。。




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