|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() [メールフォーム] [更新履歴] 続編: [些細な出来事なのダ]
[些細な出来事なのダ] に続く...
Copyright 2005-2010 EISHIN
|
![]() 2004年12月上旬 入院時は飲めなかった(禁止されていた)が、私は酒が好きだ(別にアル中というわけではない)。当時、日本のワインにもすごく旨いモノがあることを発見し、旨い国産ワイン探しにはまっていた。 このときもクリスマスや正月用に
またおせち料理もネットで「北の漁師膳」という蟹やら北の幸やらがいっぱい入っているモノを注文した(ウチらにとっては最高の贅沢)。 正月にはドライブがてら讃岐にうどんを喰いに行こう、ということで予定も立てた。といっても、運転するのは YUKO(=妻) である。私は免許を持っていないのだ。さらにウチらは福岡市近郊に住んでいるので、香川県はちょっと遠い。一泊しなければ行けないので、旅の窓口(今の楽天トラベル)でホテルを予約しておいた。 そしてネットで旨いうどん屋も検索したりもした。後は実行あるのみである。 ウチで毎年恒例となっている年賀状素材の雑誌も買ってきた。年賀状作りは私の仕事である。今(12月上旬)は仕事が忙しいので、加工&印刷は年末になるかな? というように、クリスマス&正月のために万全な準備をしていたのであった。それが、あんなことになろうとは。。。 2004年12月15日 風邪を引いたらしく、熱がある。それに奥歯の歯ぐきも痛み始めてきた。 私は「親知らず」が一本しか生えていないのだが(それも変な方向)、その横の歯ぐきが腫れていたのであった。 YUKO と相談の上、明日は仕事を半休し内科&歯科に行くことにする。 2004年12月16日 まずは内科へ。行ったところは、近所のかかりつけの病院である。この病院の医師は風邪ぐらいでは検査をしないので、いつものように「多分、風邪でしょう」で終わってしまった。そしていつもの総合感冒薬をもらう。 後で YUKO から聞いたのであるが、Leukemia になっている時はこの薬を飲んではいけないそうだ。YUKO は私が Leukemia だと判明した後、(ネット等で)実に詳しくこの病気のことを調べてくれた。その時この薬のことも知ったようである。 ただ結果としてこの薬によって Leukemia が悪化することはなかったみたいだ(多分)。良かったス。 次は歯科。私が名医と信じて疑わない M歯科医院 に行く。ここは自宅からちょっと遠いのであるが、他のところに行こうとは思わない。もうあれこれ10年ぐらいお世話になっている。でもやはり遠いということで、YUKO に車で送ってもらった。 なおこの歯科医院の M先生 にとって、私は悪い患者の見本みたいようなものである。よく「半年毎ぐらいに歯のメンテナンスのために来院してください」と言われるのだが、いつも悪くなってからしか行かない。どうもスミマセンです。 さて「親知らず」横の歯ぐきについてであるが、膿が袋状に溜まっているらしい。現時点では腫れが引くのを待つしか方法が無い、ということであった。この「親知らず」も本当は抜いた方がいいのだが、やはり腫れが引かないことには処置できないそうである。 とにかく腫れの方は引くのを待つことにして、ついでに他の歯のメンテナンスをしてもらう。具体的には歯垢を取ってもらうという作業なのであるが、この際、歯ぐきから血が出る。本日の治療はこれだけとのこと。 その後、ヨソで待っていた YUKO をケイタイで呼び出し、車で帰ったのであるが、YUKO は私の顔を見て一言。 「歯が真っ赤だけど、どうしたの」 後から考えると、確かにいつものメンテナンスの時より出血が多かったような。でもその時は特に気にもしてなかった。 2004年12月16日その後 − 12月19日昼頃まで 帰ってきてからも歯ぐきの出血は止まらない。私は血を見ても大丈夫な方なので慌てたりすることはないが、やはり血の味は旨いものではない。 結局そのまま就寝したのだが、朝起きてビックリ。思わず「ヒーーー」とのたまうところであった。 何と枕が血でベットリ。どうも「血のヨダレ」をたらし続けていたようである。 当時、私はロン毛だったが、髪の毛にもその血のヨダレが付いてるし。。。 キタナイ!! この「枕に血のヨダレ」は次の夜も続き、19日の朝になってようやく治まった。 ただ「親知らず」横の腫れによる痛みはさらに激しくなるし、風邪の方も相変わらずであった。でも熱の方は幾分下がってくる。 なお予定では、20〜21日に東京出張が入っていたのだが、とても行ける状況ではないので、キャンセル。 2004年12月19日 夜 PM7時頃、突然の悪寒。体中に激しい寒気を感じ、ガタガタ震えが来た。 寒すぎる!!! 体温を計ると何と 39℃。 YUKO が「救急車を呼ぼうか?」と尋ねるが、拒否した。「多分、少し経ったら治まるだろう」ぐらいに思っていたのだ。 過去に同じことがあったときも、しばらくしたら直ったから。。。 案の定、2時間ぐらいして寒気は治まる。その後、熱も 37℃台 に戻った。 とりあえず、明日もう一度内科に診てもらおう、と決めた。 また歯ぐきの痛みも激しいままなので、この際、歯科にも行こう!! ところでもし救急車を呼んでいたら、そのまま入院ということになってたかもしれない。それも、実際に入院することになった病院とは別のところへ。 その場合どうなっていたか? 誰にも分からない。。。 2004年12月20日(入院前) M歯科医院 には朝一で予約を取ることができた。そこで、歯科の方を先に行くことにした。またしても YUKO に車で送ってもらう。 ここには本来、歯ぐきの痛みのことで来たのであるが、それについてはやはり腫れが引かないことにはしょうがないとのこと。 それよりも M先生は歯ぐきの血が止まらなかったことに興味を持ったようで、次のような提案を私に。。。 「病院に 2,3日 入院しませんか?」 思わず「エーーー」という感じになった。 先生は続けて、 「疲れが歯ぐきに出てるんじゃないでしょうか。休養も兼ねて入院された方がいいですよ」 「ここには手術台が無いので、二件の病院と提携して大きな歯科手術はそこの手術室を使わしてもらっている。そこに紹介状を書きますので如何でしょうか?」 というようなことを言われた。 実際、仕事が忙しく疲れていたのは本当だ。風邪もそのせいかもしれない。少し考えて入院することを OK することにした。 病院は二件のうち「HI病院」を選択。先生はさっそく HI病院に連絡した。 そして「ではすぐに行ってください」とのこと。 それに対し、私は「えっ、"一旦自宅に戻らずに" ですか?」 どうもそういうことらしい。 しかたがない。入院に必要なモノは後で YUKO に持ってきてもらおう!! なお HI病院 の内科に入院することになったため、"自宅近所のかかりつけ病院" に行く必要は無くなってしまった。 さらに紹介状を受け取った私に先生は、 「私は HI病院によく行くので、(入院中の私の)様子を見に来ることにします」 と言われた。 実際 M先生 は本当に、ちょくちょく様子を見に来てくれた(これが私の生死を分けた)。 さて、医院を出て YUKO に入院のことを話すと、やはり「えっ」という反応が返ってきた。しかし休養も兼ねるということを話したら、それは良いことだとのこと。そして病院に車で送ってもらう。 2004年12月20日(入院後) HI病院に到着後、すぐに入院手続きをする。会社にも入院のことを電話し承諾を得た。病室は差額ベット代のいらない「大部屋」を選択。いよいよ入院生活の始まりである。 なおこのときは 2,3日で当然退院できるものと思い込んでいた。こんなに長くなるとも知らずに、ノンキな私!! → 以後、3. に続く。。。 注) 「2005年はいつもと趣が異なる」と 1. に書いたが、実は 2004年末から既に違っていた。 補足) 「クリスマス&正月のための準備」のその後 購入した「限定ワイン」はボジョレヌーボーのようなもので、数ヶ月内に飲まないと味が悪くなるタイプのワインである。YUKO は下戸なので、いろんな人にあげた。 泣く泣く手放した、という感じである。 「北の漁師膳」は早期割引(キャンセル不可)で購入したのでキャンセルできず、結局 12月30日に届いてしまった。 そのとき私は既に生食禁止(通称、生禁)だったので、当然食べることことができない。YUKO もあまり食べたくないということで、これもほとんど人にあげてしまった。 旅の窓口(讃岐のホテル)はキャンセルした。うどん喰いたかったナ。 年賀状は年が明けてから、 「年末に急遽長期入院しましたので、年賀が遅れて申し訳ありません」 というふうな文面で、YUKO に出してもらった。 実はこの時点では身内と会社を除き、ほとんどの人にまだ入院のことを知らせていない。というわけで、友人等はこの文面を見て私の入院を知ったことになる。
(C)2005-2010 EISHIN All Rights Reserved.
![]() |