(C)2005-2010 EISHIN All Rights Reserved.

リンクページへ
[メールフォーム]

[更新履歴]

続編:
[些細な出来事なのダ]


1.  はじめに
2.  入院までの道のり
3.  HI病院 の住み心地
4.  入院その後、そして。。
5.  告知
6.  寛解導入療法
7.  お見舞いアリガトウ
8.  地固め療法
9.  福岡西方沖地震
10.  ダブル入院!?
11.  クリーンルームの住民
12.  再び「無菌室」へ
13.  退院へ
14.  一般病室のこと
15.  入院中に買ったモノ
16.  退院!!
17.  自宅療養
18.  復職後
19.  2006年の出来事
[1][2][3][4]
20.  2007年の出来事
[1][2][3][4]
21.  2008年の出来事
[1][2][3][4]
22.  2009年の出来事
[1][2][3][4]
23.  2010年の出来事
[1][2]
24.  あとがき

[些細な出来事なのダ]
に続く...


[ 番外編 ]
-  私も入院したのダ -
by YUKO

1.  入院
2.  眠れぬ病室の夜
3.  治療前の事
4.  闘病仲間
5.  その後
6.  洗濯 & HS温泉
7.  退院までのこと



Copyright 2005-2010 EISHIN
[ 番外編 ]
◆◇◆◇ 私も入院したのダ ◆◇◆◇
by  YUKO


3. 治療前の事

さていきなり入院した! とここまで書いたが、入院を勧告され入院前の検査などを行っている間、実はいろいろなことがあったのだ。
まず第一に "私が何に感染したのか" である。

私は入院しなければならなくなったとき、即座に旦那と "彼が入院している病棟の看護婦さん" に連絡した。それと言うのもオタフク風邪の疑いが持ち上がったからである。
私の症状は初め頭痛・腹痛・高熱と来て、後に(院内で)頭皮の痛みから "あごからほっぺた周辺の痛み" と言うように変化していた。ほっぺと言えばオタフク風邪。医師もその可能性もあるといっていた。
私が子供のころ済ませたかどうかは、両親が亡くなっているのでもはや分らず、もっと最悪なのは旦那はおそらく未感染ということ。

大人が感染すると、健康な人でさえ重篤な症状を引き起こす恐怖のオタフク風邪。APL患者がかかったらどうなってしまうことか。
旦那の主治医( K先生)によると、「オタフク風邪の場合、潜伏期間は約2週間」。発症前にワクチンを打てば、まだ症状の激化を少しは抑えられるらしい。
急遽、血液内科ではオタフク風邪のワクチンを取り寄せて、「最悪の場合に備えなくては!」と言う騒ぎになった(と思われる)。おりしも旦那は最後の抗がん剤を打つために白血球の上昇待ちをしている状態で、しかも非常に少ないまま停滞していた時期だった。
1000個/μl 前後を上下している最悪の状態。
おまけに私が出入りした血液内科の病棟はほぼ汚染されたと思われるため、他の(入院している)白血球の少ない人々のことを考えると・・・・
大変なことになっていたのだ。
ううぅ〜、皆さんホントにごめんなさい・・・

私は入院をすると、すぐに北陸の旦那の実家にもTELした。オタフク経験を尋ねようと思ったのだ。しかし残念ながらはっきりしなかった。
反対に北陸の両親に私も入院すると知らせたことになり、遠いキタの国で旦那の親を死ぬほど心配させる結果になってしまった・・。お父さん、お母さん心配かけて申し訳ありません・・・・・
結局、ありとあらゆる検査を行いながら、即座に旦那の方にも検査結果を対応させていくと言うことになった。
・・EISHIN(=旦那)よ、なんか悪いものだったらすまない・・
・・他の患者の皆さんもごめんなさい・・
とか思いながら、レントゲンに胃カメラ、大や小の検査、血液検査と検査ばかりてんこ盛りの入院初めの日々。。 熱もあるのにしんどかったス。

ただ結果から言うと、私の感染原因は分らなかった。オタフク風邪、肝炎各種、その他たくさん・・・14種類の検査をしたが、全て陰性だった。
ということで、病名は「不明熱」。つまり血液内科の人々は無事だった。旦那もリスクのあるワクチンの投与は避けられた。
しかしこの件に関し、血液内科の婦長さんが直接お見舞いというか様子を見に来てくださったり、あろう事か旦那の主治医である血液内科の K先生までもが来て下さった。

本当にご心配をおかけ(お騒がせ?)して、申し訳ありませんでした。




(C)2005-2010 EISHIN All Rights Reserved.