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続編:
[些細な出来事なのダ]


1.  はじめに
2.  入院までの道のり
3.  HI病院 の住み心地
4.  入院その後、そして。。
5.  告知
6.  寛解導入療法
7.  お見舞いアリガトウ
8.  地固め療法
9.  福岡西方沖地震
10.  ダブル入院!?
11.  クリーンルームの住民
12.  再び「無菌室」へ
13.  退院へ
14.  一般病室のこと
15.  入院中に買ったモノ
16.  退院!!
17.  自宅療養
18.  復職後
19.  2006年の出来事
[1][2][3][4]
20.  2007年の出来事
[1][2][3][4]
21.  2008年の出来事
[1][2][3][4]
22.  2009年の出来事
[1][2][3][4]
23.  2010年の出来事
[1][2]
24.  あとがき

[些細な出来事なのダ]
に続く...


[ 番外編 ]
-  私も入院したのダ -
by YUKO

1.  入院
2.  眠れぬ病室の夜
3.  治療前の事
4.  闘病仲間
5.  その後
6.  洗濯 & HS温泉
7.  退院までのこと



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4. 入院その後、そして。。。

2004年12月20日

ご存知の通り、入院1日目。
YUKO は一度自宅に帰り、入院用具を持って戻ってきた。ついでに私の「人間ドックの結果」が書かれた書類も持ってきてもらい、病院側に渡す。この書類には一昨年(2002年)と昨年(2003年)の検査結果が記載されていた。今後の治療の役に立つだろう。。。
と思っていたら後に、私の想像以上に大きな意味を持つことになる。

なお今日はいくつか検査があった。ただこの検査の結果が後々役に立ったのかどうか不明である。血液検査もやった。この血液検査はその後も定期的に行われた。

依然として歯ぐきの腫れた箇所は痛い。風邪だか何だか分からない「だるさ」も取れず。
今日退院できるということは、もちろん無い!!

夜、M歯科医院の M先生が様子を見に来てくれた。M先生はこの後も、毎日のように来てくださった(感謝)。


2004年12月21日

入院2日目。
今日も検査があった。「歯ぐきの痛み」と「だるさ」は相変わらずだが、身体の方はまだ体力が残っていた。階段の上り下り(5階分)も OK である(息切れはしたが)。

午後、主治医の先生から血液検査の結果を知らされる。先生には「人間ドックの結果」を渡していたので、その頃の血液状態も含め一緒に説明してくれる。
まず「人間ドックの結果」について、気になる点から。白血球数が
    一昨年 : 5800個/μl  →  昨年 : 2900個/μl
に半減していることを指摘される。ちなみに正常値は 4000〜9000個/μl である。

知らなかった!!  結果をきちんと見ていない証拠である。
オマケに昨年の結果の(白血球数の欄には)「半年後に再検査すること」、と書いてある。
やってない!!  人間ドックがまったく意味を成してないではないか。

そして今回(入院後)の結果。
    1200個/μl
ガ〜〜〜ン!!
本来ならば、このようにショックを受けて当然なのだろう。しかしなぜかあまり強い衝撃は受けなかった。次のような会話を YUKO と交わしたほどだ。
「もしかして白血病かもね。ハハハハ」と私。
「冗談言わないでヨ」と YUKO。
まったくバカである。多分、体調が回復すれば増えてくるものだと思ってたのだろう。

その後、「もう少し様子を見てみましょう」ということで、本日の退院は無くなった。残念!?


2004年12月22日

入院3日目。
朝、前にも書いたように「血のヨダレ」によって、歯ぐきの痛みがかなり弱まる。しかし「だるさ」は変わらず。

ところで今日は先生方の回診がある。「白い巨塔」のように複数の先生が病室までやってきた。白血球が極端に減るという、めずらしい症状に先生は興味津々。でも、それによって何か処置をしてくれるということはなかった。

なお今日は「当初の 2,3日間入院する」という予定のリミットである。
しかし退院できず。。


2004年12月23日

入院4日目。
少し「だるさ」が強くなってきたような気がする。
今日も退院できず。。。


2004年12月24日

入院5日目。
とうとうクリスマスイブになってしまった。病院食のトレイに「クリスマスカード」が載ってくる。
本来ならば「限定ワイン」を飲んでいたはずなのに!!  悲しい。。。

しかしその後、待望の返事が返ってきた。「明日、退院できますヨ」
「だるさ」がますます強くなっているにも関わらず、私は非常に喜んだ。それほど病院生活がイヤだったのだ。
これで年賀状も作れるし、おせちも喰える。体調が戻ったら、正月に讃岐にも行こう!!

夕方になって、M先生が様子を見に来る。私は先生に「明日、退院できることになりました」と喜びの報告。
それに対し、先生の顔が急に険しくなる。先程までニコニコされていたのに、予想外の反応だ。そして先生は「ちょっと待ってくれ」と言い残し、病室を出て行った。

実はこれが、私の生死を分けた一瞬である!!!!!

M先生は私の白血球数を知っていた。「白血球数が少ないのに退院させるとは、どういうことだ」ということで、主治医の先生に掛け合いに行ってくれたのだ。
そしてしばらくすると、主治医の先生とともに戻ってきた。

主治医の先生は一言
「明日の朝、転院してください」

→ 続く。。。


2004年12月24日(続き)

転院先は「HS病院」。その病院には、HI病院 には無い「血液内科」がある。
明日を逃すと HS病院が年末年始休暇に入るので、正月明けにならないと入院できないそうだ。たまたま病室にも「空き」があり、AM11:00 には検査もしてもらえるとのこと。それまでに移ってほしいそうだ。

何か納得いかないが、承諾した。
当然、「正月前に転院できたことは幸運だった」と思うこともなかった。
そしてただ

「北の漁師膳が遠のいていく〜〜〜」
と考えるのみであった。

ちなみに最新の血液検査では、白血球数が
    900個/μl
だったそうである。
白血球は歯ぐきが腫れる等の感染症が起きると、数が増える。すなわち本来は 900 個/μl なのであるが、以前は歯ぐきが感染していたので 1200 個/μl まで上がっていたみたい。


2004年12月25日

朝、HI病院を退院する準備。このまま自宅に帰れないのがツライところ。転院のショックが重なったのか、だるさが一層増している。
YUKO と一緒に病室を出て、精算のカウンタへ。そして YUKO が入院費の支払いを済ませている間、じっと待っていた。 遅い!! 事務のおばちゃんの手際が非常に悪いのだ。おまけにあまりに遅いので聞きに行ったら、処理は終わっているのでもう帰っていいとのこと。そういうことは、きちんと言えっちゅうの(怒)。
だるさを通り越して、身体がきつくなってきた。もうヘロヘロ。

その後、YUKO の運転で HS病院に向かう。
到着して入院手続きを済ませた後、病室に案内された。そこは。。。

→ 以後、5. に続く。。。




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