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[些細な出来事なのダ] に続く...
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![]() [前知識] 寛解導入療法&地固め療法 急性白血病は、どのタイプでもまず「寛解導入療法」を行い、次に「寛解後療法」を行う。 「寛解(完全寛解)」とは、骨髄内の白血病細胞がわずかに残るぐらいまで減少し、そのため血液の状態が正常に戻ることをいう。この寛解を目的とした治療が「寛解導入療法」である。 ただ「寛解導入療法」の成功により「寛解」に到っても、白血病細胞はまだ残っている。この白血病細胞は限りなくゼロにしてやらない限り、また増殖して再発してしまうのである。そのための治療が「寛解後療法」である。 「寛解後療法」には、寛解後すぐに行う「地固め療法」と、「地固め療法」の後に行う「維持強化療法」がある。具体的には「地固め療法」を数回やった後、「維持強化療法」を数回するというパターンが普通。なお「維持強化療法」は「地固め療法」より弱い治療で、退院後、通院で受けることが多いとのこと。 ところで「維持強化療法」は本当に必要なのか? まだ分かっていないらしい。 「維持強化療法」併用の「地固め療法」の代わりに、強い「地固め療法」を少し多めの回数行う。でも「維持強化療法」はしない。 という方法もある。 「寛解導入療法」終了直前になって、K先生は私たちとミーティングを行い、今後の治療計画について話し合った。 結論として私は、どちらが良いのかまだ分からないのなら、治療期間が短かくなる「維持強化療法をしない」の方を選択。具体的には「地固め療法」4回で、うち最後の1回が「強めの治療」、そして退院。その後は経過観察というパターンである。 なお「寛解導入療法」「寛解後療法」の治療法は、"急性骨髄性白血病(AML)" のタイプによって異なる。その中で "急性前骨髄性白血病(APL, AML M3)" に関しては、特に変わった治療法が取られる。 具体的には、他のタイプの「寛解導入療法」では通常「抗ガン剤」投与がメインとなるが、M3 では「ベサノイド(ATRA)」という "活性化されたビタミンA" を使用する。そしてこの寛解導入療法時には「抗ガン剤」を使わないで済ますこともある。 また通常(M3では)「寛解後療法」の際、再発ではない限り「骨髄移植」は行わない。 ◎ 治療の日々 2004年12月25日 - 2005年1月8日 「ベサノイド」はカプセルになっており、内服薬なので楽である。しかし生死を分けるカナメだ。そこで「他の薬は飲み忘れても、ベサノイドだけは1回たりとも飲み忘れるわけにはいかない」と決意。飲み忘れて「播種性血管内凝固(DIC)」になっちゃ、もうオシマイである。 この「ベサノイド」は結局、2月中頃まで飲み続けなければならなかった。つまり約2ヶ月間。結構長い期間だ。あれだけ決意してたのに、つい1回だけ飲み忘れてしまった。。。 なお「親知らず」横の歯ぐきはまだ痛い。おまけに他の歯や歯ぐきまで痛くなってきた。しかし白血球数が少ないので、歯科で治療を受けることはできないらしい。 ひらすら耐えていたが、あまりに痛いので時々鎮痛剤を点滴する。 また輸血も行った。初めての体験である。献血の方は結構やったことがあるのだが。。。 それにしてもこんな血じゃ、もう二度と献血はできないナ。 ちなみに輸血は成分毎に行われる。具体的には赤血球と血小板である。白血球を輸血することは無い。 なお12月29日、「無菌室」から「クリーンルーム」に移る。クリーンルームとは、無菌室と一般病室の中間ぐらいの病室である。 2005年1月9日 - 1月10日 これまでも 発熱(37℃台) や「だるさ」はあった。 しかし9日ぐらいからは、咳や鼻水等が出てくるようになった。明らかに風邪である。幸いなことにインフルエンザでは無いようだ。しかしツラさ倍増となってしまった。 この風邪の症状は2〜3週間ぐらい続く。 2005年1月11日 - 1月17日 「ベサノイド」が良く効き、白血球数が 2800個/μl まで上がってきた。私は単純に喜んだのだが、これがとんだ曲者だった。 本来正常であれば、「前骨髄球」は血液中にほとんど存在しない。私は急性前骨髄性白血病(APL)なので多少存在はしていたが、まだ好中球よりはかなり少なかった。それが逆転してきたのだ。ちなみに好中球とは白血球の一種である。正常な血液であれば、白血球はほぼ好中球とリンパ球で占められる。 すなわち異常な血液状態になっていたのである。これは骨髄内の白血病細胞が、何らかの理由で活発になってきていることを示す。 当初、"寛解導入療法"時には「抗ガン剤」投与を行う予定はなかった。もっとも投与の可能性もあったのだが、もはや無いと思っていた。ということで、安心し切っていた矢先のことだったのだ。 K先生より「この状況では抗ガン剤を使った方が良い」との宣告。 そう言われたら、承諾するしかない。抗ガン剤の副作用の話はよく聞くので、本音ではやりたくはないのだが。。。 まず11日より、抗ガン剤「キロサイド」7日間。半日ぐらいかけて点滴。 その上、13日から別の抗ガン剤「イダルビシン」追加。3日間の点滴となる。しかしこれは1日1時間ぐらいで終了。 それにしてもイダルビシンは毒々しい色だ。この色を見るだけでイヤな気分になる。 なお抗がん剤投与開始後3日間は、あまり副作用は出なかった。ちょろいモンだ、と考えていた。 しかし14日になって一変、激しい吐き気に襲われる。「イダルビシン」のせいか?? この吐き気は10日間ぐらい続き、その間、実際に吐いたりもしてしまった。二日酔いが10日間ずっとある、ようなものである。 吐き気止めの点滴をしてもらう。 またその後、食欲不振も続いた。胃もたれが強くて、食事を受け付けないのだ。まったく食べれないことも何度かあった。その上この胃もたれは2ヶ月以上、直らなかった。。。 37℃台の発熱とだるさ、歯ぐきの痛み、風邪による咳や鼻水等、に加え、「吐き気&胃もたれ」までプラス。しかもこの中では「吐き気」が一番ツライ。 ところが、さらに厳しい症状が待ち受けているのである。 2005年1月17日(続き) 突然の悪寒。シャレにならないぐらい寒い。体温は38℃を超えているのに、身体がガタガタ震えた。ナースコール!!! 看護婦さんに解熱剤の点滴をしてもらう。「電気毛布もしましょうか?」と言われたが、断った。脳の方で勝手に寒いと感じているだけなので、本当に身体が冷たくなっているわけではないのだ。一度、電気毛布を掛けてもらったこともあるが、まったく効果無し。 そのうち解熱剤が効いてきたのか、1時間程すると身体の方は暖まってくる。しかし手足はまだ寒いまま。 もう少しすると手足の方も寒くなくなって、一段落となる。実際にはこの後、体中が非常に暑くなり、汗も吹き出てくるのだが。。。 しかし身体が火照ったとしても、激しい悪寒よりマシである。それほどキツイ!! なおこの身体が火照った時点で氷枕をしてもらう。寒気がしているうちは、とてもじゃないが氷枕なんかできない。さらに1時間ほどすると、37℃前半まで下がってきた。 歯ぐきの痛み、咳や鼻水、吐き気、胃もたれなどは相変わらずだが、一安心である。 ところがそれで終わればまだ良かった。8時間後、またもや猛烈な寒気。そして「解熱剤の点滴」→「悪寒が治まり、氷枕」→「熱が37℃前半になる」の繰り返し。 結局、私にはこの解熱剤は6〜8時間しか効果がなかった。しかも解熱剤を使っていいのは、1日3回までと決まっているのだ。。。 そしてこのパターンは、2月18日までの1ヶ月間続くことになる。地獄だった。。。 「悪寒無しで熱だけ上がった」ときもあったが、この時はラッキーに感じたほどだ!! ちなみに効果が6〜8時間だったのは「通常の解熱剤」。あまりに効き目が短いので、3日に一度ぐらいは「ステロイド系の解熱剤」を使った。これは1日ぐらい効き目が続く。しかしステロイドは免疫低下等の副作用があるので、あまり使うことができないのだ。 にも関わらず、私はあれこれヘリクツを付け、看護婦さんに「ステロイド系の解熱剤」にして欲しいと要求!! リスクがあることは承知でだ。それほど「悪寒」が苦痛だったのだ。 「淡々と治療を受ける」と決めてたのにネ!! 2005年1月18日 - 2月13日 白血球数は1月25日ぐらいからガクッと下がり、そのまま停滞した。再び上がり始めたのは2月9日頃からだ。 停滞時の白血球数は大体 500〜700個/μl ぐらい。入院開始時の値!! 白血球が下がっているときは、たいてい赤血球や血小板も少なくなっている。そこでこの二種に関しては、ある値より少なくなると輸血を行って補充することになる。 ちなみにこの輸血は寛解導入療法、地固め療法のどちらの時期でも、時々行った。過去に献血したのと同じぐらい返してもらったのでは??? また1月26日頃から髪の毛が抜け始める。朝起きると、枕に毛がどっさりくっついていた。それをコロコロ等で取るのが日課になる。 実感としては、とうとうこの日が来たか、という感じ。すぐに諦めがついた。 ちなみに最終的にも完全に抜けることはなく、「マダラハゲ」の状態で終わった。スキンヘッズになっても良かったのに!! なお2月上旬になって、ようやく歯ぐきの痛みは治まってきた。しかし代わりに足の裏や手のひらが赤くなり、やがて皮が剥けてくるようになった。前から手の甲が「あかぎれ」になっていたのだが、それとは明らかに違う。 K先生によると、「ベサノイド」の副作用ではないか、ということだった。 結局、この症状は2週間ぐらいで直る。 2005年2月13日 - 2月17日 2月9日の採血で、白血球数が 1100個/μl になった。そして 1000個/μl を超えたので、歯の治療をしましょう、ということになった。2月13日、病院内の歯科に行く。 何本かの歯(歯ぐき)の治療を行ったが、メインは一番痛かった「歯ぐき」一箇所。 この歯は過去に「歯根治療(歯の神経を抜くとかいうやつ)」をしていたのだが、それが不完全だったらしい。残っていたカケラが悪さし、白血球が少ないせいで炎症を起こしたのではないか、ということだった。 K先生は「歯科の先生」に、「1週間ぐらいで出来る治療を行って欲しい」と言っていたようだ。しかし 1週間で完全な治療は無理とのこと。とりあえず応急処置を行い、退院後、完全に治すことにする。 この歯科は4日間、毎日通った(同じ病院内だが。。。) 2月15日、未だ「38℃台に上がる」→「解熱剤の点滴」→「悪寒(無いときもある)が治まり、氷枕」→「熱が37℃前半になる」の周期は相変わらず。 「中心静脈カテーテル」の刺しているところから感染しているのかもしれないとのこと。抜いてみることになった。刺す時と違って痛くない。 なお抜いてみたものの、「38℃台に上がる」周期パターンは変わらず。残念!! 2005年2月18日 白血球数が待望の 2000個/μl 超になった。2000個/μl 以上になると、外泊が許されるのだ。やった〜〜〜!! でも依然と「38℃台に上がる」周期は繰り返しているんですけど。。。 大丈夫かな??? 基本的に外泊は2泊3日なのだが、やはり発熱が問題であるということで、1泊2日に減らされた。でも外泊はウレシイ。 なお外泊時に発熱した場合に備え、ステロイド系の内服薬をもらう。 午後になって、骨髄穿刺(マルク)。このマルクは今後も「外泊直前(または外泊直後)の恒例行事」となる。すべて腰骨に刺されるタイプ。 痛みは前回と同じぐらいで大したこと無い。麻酔が痛いぐらい。。。 こうして「寛解導入療法」は終了したのだった。 ちなみに、熱は夜になって37℃前半に下がった。そして翌日の朝になっても38℃台に上がることはなかった。。。 [外泊] 2005年2月19日 - 2月20日 朝9時、外泊の用意。「マダラハゲ」なので帽子をかぶる。帽子やバンダナをすると(熱のため)頭に汗をかくので、病院では一切かぶっていない。どうせ血液内科の病棟では、(同じような原因で)はげた人も多いし。。。 その後、YUKO の運転で自宅に向かう。2ヶ月ぶりの我が家である。 熱は37℃前半を維持しているが、身体はやはりきつい。結局家ではあまり何もせず。ほとんど寝てばかり。。。 なお、家では38℃台まで上がることは無かった。奇跡だ!! 2月20日の夜7時ぐらいに病院に戻る。いつもと同じく、YUKO の運転だ。 ちなみにその後も YUKO は外泊時に車で毎回送り迎えしてくれた。サンキューね。 ◎ クリーンルーム 2004年12月29日、K先生より「クリーンルームに移りましょう」と言われる。前にも書いたが、クリーンルームとは、無菌室と一般病室の中間ぐらいの病室である。 さらに「無菌室は長い間いると、頭が変になりますので。。。」と先生。事実、無菌室は圧迫された感じだし、他の人と話をするのも大変だ。でも私にとっては、そんなに苦痛でも無かったがな。。。 頭が変になる、というのも本当なのだろう。しかし後になって、入院当時、無菌室しか空いてなかったということを知る。本当はクリーンルームレベルでいいのだが、クリーンルームは満室であった。白血球が少なく一般病室に入れるわけにはいかないので、とりあえず無菌室へ。。。 というわけである。 なお本当に無菌室に入らなければならない人とは、「移植後の患者」だけだそうだ。 この「クリーンルーム」には、2005年6月24日までいた。その後移った部屋は「無菌室」。何と入院時に入っていた部屋である!! それも「本当に無菌室が必要」という理由とは別の目的で。。。 なおクリーンルームにいた間も、無菌室に2晩ほどお世話になっている。そのときも別の目的だったので、結局、本来の理由では使っていないことになる。 クリーンルームは無菌室と異なり、天井の方からクリーンな空気が放出される。そして出入り口のドアは通常、閉まった状態になっていた。また無菌室はトイレやらシャワー等が狭い空間に配置されていてゴチャゴチャしていたが、クリーンルームにはそれが無い。その分だけ広く感じる。 ちなみに手洗いや冷蔵庫は一般病室と違い、部屋に備え付けられていた。 なおトイレやシャワーが無いということは、共同のところを使うということである。これは、すなわち一般病室の人や見舞い客と一緒の場所ということ(見舞い客はシャワーを使わないが。。) そこまで行くには廊下を通らないといけないが当然、廊下はクリーンではない。そこで部屋の外に出る時はマスクをする。面倒だ!! しかし部屋の外に出れるということは気分転換にもなり、ちょっとウレシイのも事実。でも感染リスクも高くなるので、自分の病室(クリーンルーム)のある階以外はあまり行かないことにした(部屋の外に出るのも最小限)。 このクリーンルームは一般病室と同じく、「付き添い」や「見舞い客」も中に入ることができる。YUKO は、それがうれしそうだった。それに「病室で必要なモノ(着替え等)」を YUKO 自身で持ち込むこともできるし、気軽である。 ちなみにこの病室(クリーンルーム)は二人部屋である。無菌室のような個室では無い。 このことがいろいろなトラブルを生むのだが、これは後ほど。。。 なお私のベットは「出入り口(廊下側)の反対側」。窓から景色が良く見える。このクリーンルームは角部屋なのでどちらのベットにも窓があるのだが、透明な窓は「廊下の反対側」だけなのだ。他の窓はスリガラスなので、廊下側のベットからは景色を見ることはできない。 それとテレビのこと。無菌室や個室といった一人部屋ではスピーカーで聞いてもいいのだが、それ以外ではイヤホン。スピーカーでは同室の人の迷惑になるから、あたりまえなのだけど。。。 一度、イヤホンの代わりに(イヤホンよりは高級な)ヘッドホンで聞いてみたが、ノイズがひどくて聞くに堪えない。安いイヤホンほどノイズが無いのだ。多分ノイズは高周波域にあり、イヤホンではその高周波域を再生できないのだろう。 なお痛いのは、テレビ試聴が有料になったこと。無菌室ではいらなかった「テレビカード」が必要となる。この差別はなぜだか分からないが、無菌室の人はテレビカードを買いに行きにくいからかもしれない(各階ロビーにテレビカード自販機がある)。 話は変わるが、クリーンルームのエアコンはタコだ。何度に設定しても次のような周期で動く(推定)。なお下記は冷房の場合について述べている。 「"設定温度+1℃" になると、固定の温度(十数℃ぐらい)の冷風が出る」→「設定温度に一定時間なっていたら、冷風が止まり、"クリーンな空気の送風" だけとなる」→「送風の温度はたいてい設定温度より高いので、すぐに "設定温度+1℃" になる」→以後、繰り返し。 つまり何度に設定しても、冷風が出ている時には近くにいる人は(同じ温度となり)寒いのである。しかも設定温度を高くすると、(冷風の近くでは)寒暖の差が激しくなる。 このリクツは同室の患者(クリーンルームは二人部屋)はおろか、看護婦さんにも理解できないらしい。看護婦さんなので当然、検温などでちょくちょく病室に入ってくるわけであるが、その時ちょうど冷風が出ていると、勝手に設定温度を上げたりするのだ。そのためその後、猛烈な暑さが襲ってくることになる。。。 私は怒って設定温度を戻す。その繰り返し!! ちなみに元々、ベットは冷風吹き出し口の直下にあった。これではさすがに寒すぎる。そこでベットの場所を少しずらし、直下にならないようにしてもらった。 ◎ 髪の毛のこと 「中心静脈カテーテル」が刺さっていると、基本的にシャワーを全身に浴びることができない。いやできないことはないのだが、カテーテルの刺さっている部分に「防水用の大きなシール」を張ってもらい、シャワーの後また剥がしてもらう、といった作業が必要となるのだ。これが面倒くさい。 よって身体をキレイにする方法は、主として「蒸したタオルで身体を拭く」ことになる。これがあまりキレイにならないので、どんどん垢が溜まってきて困る。 それでも身体の方は何とかなるのだが、髪の毛はどうにもならない。朝シャンのようなシャンプー台(共同)もあるのだが、身体がキツイとシャンプーするのも苦痛である。あまり行かなかった。 この状態で高熱が出るものだから、頭に汗をかく。入院当時はロン毛だったのでなおさらである。頭が痒い。 その上1月11日〜17日に抗がん剤を点滴したこともあり、今後髪の毛が抜けてくるかもしれない!! ロン毛の状態で抜けると大変だ。 というわけで1月21日、しかたなく髪の毛を切ることにした。HS病院では、病院そばにある床屋さんが病室(または病院廊下)まで出張してくれるサービスがある。 私はあまりクリーンルームから出てはいけないので、病室内でカット。短めなカットではあるが、坊主までいっていない。ちなみにロン毛以外になったのは、約17年ぶりのことであった。 それから何日か経った1月26日頃、とうとう髪の毛が抜け始める。切っておいてよかった。 あまりに抜けるので、1月末にはシャンプー台で洗髪することにした。抜けること自体はもう諦めがついているので、目的は「抜ける毛はすべて抜く」である。 しかしいざシャンプーをすると、その抜ける量といったら!!! まるで「貞子」のようである。「ヒーーー」といった感じ。おまけに抜けた毛がまだ残っている毛に絡みつき取れない。何とか、ほぐしながら取り除く。 結果、一回のシャンプーだけで完全に「マダラハゲ」になってしまった!! その後さらに抜け、ますます薄毛の「マダラハゲ」となる。 なおまたすぐに生えてくるということなので、ハゲ自体はあまり心配はしていない。 ◎ カテーテル&点滴のこと 「中心静脈カテーテル」を付けて1ヶ月半経った2005年2月上旬頃。点滴液(主に栄養剤)が入りにくくなってきた。以前からときどき血が点滴管を逆流していたので、固まった血液が少しづつ針の内側にこびりついてきたのだろう。要するに針の管が細くなってきたのだ。 点滴管には途中に「別の点滴管」を繋いだりするための分岐穴(弁になっていて通常閉まっている)が付いている。 点滴液が詰まって場合、最初のうちは注射器(針の無いヤツ)をその穴に差し込み、圧力をかけて管に生理食塩水を流し込む方法で対処していた。 しかしそれも次第に効果が無くなってきた。そこで用意されたのが「輸液ポンプ」。電動式で強制的に点滴液を送り込む。通常はAC電源のコードをコンセントに挿して使うのだが、バッテリーも搭載していて、トイレや検査室等に行く時はプラグを抜いて行く。 ただこのプラグの抜き差しは面倒くさい!! まぁ、点滴液が詰まって入らないよりはマシなのだが。。。 オマケに輸液ポンプは、しょっちゅうピーピー鳴る。点滴が終わったらピーピー、管に気泡が入ったらピーピー(エラー音)、流れが阻害されたらピーピー(エラー音)。 ウルサイったらありゃしない!! もっとも流れが阻害される原因は、横になっているときに管を身体で踏みつぶしていた(私が悪い)、ことだったりするわけだが。。。 ところで一度、看護婦さんが間違えて、通常の5倍ぐらい流れるように設定したことがあった。いつもはポトポト落ちる点滴が、その時は川のように流れている。 すぐに気づいてナースコールしたから良かったが、危なかった!! 話は変わって、カテーテルを抜いた日(2月15日)のこと。 抜いてしまったカテーテルの代わりに、通常の点滴針を刺すことになった。「3日ぐらい同じ針を使う」タイプを刺すのだが、1日ぐらいで交換する予定。ところが前にも書いた通り、私の腕の血管は細い。 看護婦さんが針を刺すも、うまく刺さらない。2度目も失敗。ということで、選手交代。ところが次の看護婦さんも失敗。再び選手交代。 結局、3人目の看護婦さんでようやく成功した。元々1日ぐらいで交換する予定だったのだが、「点滴液が詰まってしまうまで交換しません」と言われてしまう。看護婦さんもこんなことを毎回するのはイヤだからネ!! というわけで、私の腕には余計な穴が3個開いたが、幸い青アザにはならなかった。 話は終わらない。 看護婦さんは3日ぐらい持たせるつもりでいたのだろうが、すぐに血が逆流して詰まった。というわけで、1日ぐらい(早い時には半日)で交換となる。イヤな感じ。 ただ看護婦さんも2回目からはコツをつかんだらしい。失敗が少なくなった。ちなみに同じ場所に連続して刺せないので、色々な場所に刺された。二の腕、手首等など。 なお「二の腕」は血が逆流しやすいので通常あまり刺さない。また「手首」は関節で曲がる部位なので、動きが制限される。そんなわけで、あまりやらない。 こんなことが外泊の前日まで続いたのである。 ◎ 出血のこと 前に1月9日より鼻水が出てきたと書いた。これは2〜3週間続くことになる。 この間、鼻をかみ続けていたので、鼻の粘膜が弱っていたのだろう。ある夜(AM2時頃)、鼻血が出て止まらなくなった。 すぐに看護婦さんを呼んだが、鼻に詰め物をするしか方法が無いそうである。 ティッシュを鼻に詰めるも、瞬く間にティッシュに血が溢れる。鼻に詰めては、溢れる前にティッシュで詰め物を作る。その連続である。そのうち屑入れがティッシュで一杯になった。 このままでは播種性血管内凝固(DIC)で死んでしまう!! マジで思った。。。 この鼻血は2時間ぐらいで止まってくれた。助かった!!! しかし次の朝は当然、寝不足。。。 ちなみに当時は血小板も少ないので、時々色々なところから、ちょっとした出血があった。DIC が怖い。 そんな思いをしなくてすむようになったのは、2月上旬になってからだ!! 血小板の数が正常値に戻った時点からである。 その他、耳の穴をいじっていたらそこから出血したときもあったな!! わずかだったし、すぐに止まったから問題ないんだけど、ビックリした。 ◎ 飛蚊症 「寛解導入療法」の途中ぐらいから、明るいところを見ると黒い点が飛んでみえるようになる。これは太陽を直接見てしまった時の残像現象とは明らかに異なっていた。「飛蚊症」だ。どうも左目がおかしいらしい。 そんなわけで「寛解導入療法」終了間際、病院内の眼科で診てもらった。眼底に少し出血があるそうだ。 この飛蚊症は、その後の「地固め療法」時になっても直らなかった。そのため、ほぼ1ヶ月毎に診察するということに。診察も後になってくると、眼底出血は見られなくなっていたのだが、飛蚊症は直らない。 なおこの飛蚊症は、退院後も続いている。 ◎ 再び食事のこと HI病院の病院食はマズかったが、HS病院に代わったからといってウマくなるわけではない。それどころか、HS病院では生食禁止(生禁)だったのでさらにマズイのである。 生食(生モノ)というと刺身等を思い浮かべるが、それだけではないノダ。基本的に加熱殺菌していないモノはすべてダメである。例えば、生野菜、生の果実(缶詰はOK)、乳酸菌食品などなど。 なおこれらは HI病院で食べてしまっていたものばかりである。既にこのとき白血球数は激減していたのに。考えるだけでも恐ろしい!! というわけで、肉はパサパサ、魚は煮るか焼いたの、野菜は温野菜、果物は缶詰という食生活が続くことになる。 ちなみに主食は当初、大抵「ご飯」、時々「麺類」という取り合わせ(どちらもHOTなモノ)。 しかし1月14日の吐き気&胃もたれ以来、食べ物の匂いに過敏になってしまった。まず「(暖かい)ご飯」の匂いに耐えられなくなる。また酸っぱいモノを好むようになり、まるで妊婦の様!! 「ご飯」が食べられないので、「麺類」と「パン」の組み合わせに変えてもらった。「果物の缶詰」は食べれる時が多いので、いつも付けてもらうことにする。 さらに、その後「麺類」の匂いもダメに。 最終的にパンと缶詰を必ずつけてもらい、パンを食べやすくするためにジャムと飲み物(ジュース or 牛乳)も付加してもらうことにした。そのかわりオカズは半分の量という条件!! ちなみにこの献立パターンは吐き気&胃もたれが治まった後も続けることに。多分、この時期はご飯や麺類も食べれると思うのだが。でもどうせまたすぐに(次の抗ガン剤のために)食欲不振になるので、ちょくちょく献立を変えるのも難だ。 なおこんな我がままなオプションにしてもらったにも関わらず、一切食べれない時も多かった。抗ガン剤恐るべし!! その他、病院食は食べれないけど、他のモノ(酸っぱいモノ)なら少し食べれた時もあった。一例は以下の通り。
ところで前にも書いたが、クリーンルームは2人部屋である。食べ物の匂いに過敏になっている時は、同室の人の食事の匂いもクサい。なぜか同室の人は誰も吐き気が起こらなかったらしく、食欲旺盛なのである。 もちろん彼らも治療のために入院しているわけで、そのために食べることができるのなら食べた方が良い。それは分かっているので、この臭いにはひたすらガマンした。しかしウンザリする。。。 ちなみにご飯や麺類で食べれなかったのは、ほとんど暖かいモノである。時々、YUKO はオニギリ(常温)を買ってきてくれたが、旨かった。 また外泊時に作ってくれた「ぶっかけうどん」(ウドン自体は暖かいが、ツユをかけると冷える)。デリシャス!! よっぽど「病院食」に辟易していたのだろう。外泊時に食べたモノはどれも非常にオイシイ。入院前には味わうことができなかった感動だ!! なお外泊時の食事も一応「生禁」である。念の為。。。
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