(C)2005-2010 EISHIN All Rights Reserved.

リンクページへ
[メールフォーム]

[更新履歴]

続編:
[些細な出来事なのダ]


1.  はじめに
2.  入院までの道のり
3.  HI病院 の住み心地
4.  入院その後、そして。。
5.  告知
6.  寛解導入療法
7.  お見舞いアリガトウ
8.  地固め療法
9.  福岡西方沖地震
10.  ダブル入院!?
11.  クリーンルームの住民
12.  再び「無菌室」へ
13.  退院へ
14.  一般病室のこと
15.  入院中に買ったモノ
16.  退院!!
17.  自宅療養
18.  復職後
19.  2006年の出来事
[1][2][3][4]
20.  2007年の出来事
[1][2][3][4]
21.  2008年の出来事
[1][2][3][4]
22.  2009年の出来事
[1][2][3][4]
23.  2010年の出来事
[1][2]
24.  あとがき

[些細な出来事なのダ]
に続く...


[ 番外編 ]
-  私も入院したのダ -
by YUKO

1.  入院
2.  眠れぬ病室の夜
3.  治療前の事
4.  闘病仲間
5.  その後
6.  洗濯 & HS温泉
7.  退院までのこと



Copyright 2005-2010 EISHIN
18. 復職後

2005年11月1日 - 11月30日

11月1日、今日から仕事に復帰。といっても、午前中は歯科に行くので復帰するのは午後からなのだが。。。
さてその歯科でのお話。今日はいよいよ「親知らず」を抜く日なのだ!! 実はこの前日から抗生剤を飲み始めていた。抜歯した後の感染予防のためである。3日間飲まなくてはならないので、明日までは久し振りの薬服用。。。
抜歯自体はスンナリといった。麻酔を打った後、ペンチみたいなものでグリグリやっていたみたいだが、あっさり「取れました」という感じだ。「もっと痛いのかな」と思っていたのだが、そうでも無かった。

でも、これでもし何かあっても、ひどい炎症となる確率は少し減るであろう(注:"何か"とは再発のことです)。あの炎症はとっても痛かった!! もっとも炎症によって白血病が発見できたわけであるから、炎症が無くなることが良いことなのかどうか分からないが。。。
なお抜歯の際の出血はすぐに止まった。入院直前の「出血がまったく止まらない」状態の時とは大違いである!!

治療も終わり、午後から仕事開始!! すごく久し振りである。どうも要領がつかめないナ。仕事中、時々貧血気味になるし。。。 ただ休息を取りながらも、何とかやり遂げることができた。なおこの「仕事中に貧血になる」症状は、しばらく続くことになる。

ちなみに当面「残業しない」ということで、会社からも了承を得ている。今はまだ残業できるだけの体力が回復してないからだ。それに急に無理をした場合の再発リスクも否定できない。
会社には申し訳ないのだが、当分「残業無し」とさせていただこう(仕事柄、完全に残業無しとするのは難しいのだが。。)

復職後の最初の休日である11月5〜6日は、"配線の整理" の続き。これは先月末にほぼ終わっていたのだが、LANケーブルだけはまだ床を這っていた。ホコリが溜まりにくくするためにも、これも壁面を這わすことに!! おなじみのタイマウントでケーブルをくくりつけた。
その他にもちょっとしたDIYも行って、休日終了。。。

11月7日、本田美奈子さんが亡くなったことを知る。本当は前日亡くなっていたのだが、忙しくてこの日知ったのだ。少し凹んだ。
彼女は私とほぼ同時期に発病していることもあり(白血病のタイプは違うようだ)、病気を克服して欲しかったのに。。。

翌日の11月8日、いつもの歯科に行く。1週間前に抜歯した「親知らず」跡の調子を確認してもらった。結果は特に問題無しとのこと。
続いて、最後の歯の治療を開始。すなわちこの歯の治療が終われば、歯科への通院も完了ということだ。
ちなみに今日から治療する歯は、1日に抜いた「親知らず」の隣。入院前に炎症を起こしたのは「親知らず」横の歯ぐきなので、この今から治療する奥歯も(炎症した歯ぐきに)何らかの影響を与えていた可能性がある。きちんと治療しておくべき歯なのだ!!
なおこの歯に関しての今日の治療は「削ること」だけ。その他、全体的にメンテナンスもしてくれた。次回の治療は3週間後。

さらに翌日の11月9日、空気清浄機を修理をするため DAIKIN のサービスマンが来る。入院中に購入した空気清浄機だ。
特に壊れて動かなくなったというわけでは無いのだが、洗浄サインのランプが付きっぱなしになってしまったのである!! 空気清浄機が「フィルターの掃除をしろ」と言っているわけだが、掃除しても消えない。ということで来てもらったわけ。

注:--- 以下は YUKO(=妻) からの又聞きである。私は別室に避難していた ---
ということで修理開始。ところが少しいじってもらったら、ランプが消えるではないか。結局、これで様子を見ましょうということになる。ところが帰っていった直後、再び点灯!! ということで電話したところ、すぐに来てくれた。いい人だ!!
サービスマンの話によると、どうもセンサーの感度が良すぎるのが問題らしい。ここでは修理できないそうなので、一度サービスセンターに持ち帰ってもらうことに。そして翌日、修理された状態で戻ってきた。センサーまわりの部品をニューバージョンにしたとのこと。
--- ということだったらしい(又聞き終わり) ---

ちなみにこの空気清浄機は寝室に置いてある。書斎にも一台ほしいと思っていたのだが、(今回の対応を見た限りでは) DAIKIN のアフターサービスは良さそうだ。そこで同じメーカーのモノにすることにした。
ただしサービスマンの人から買ったわけでなく、ネット通販で安く購入したのであるが。。。 なお機種の方も、価格等を考えると同じモノとなった!! ちなみに修理した方の空気清浄機もネット通販で買ったものであるが、その価格の入ったレシートをサービスマンの人に見せたところ、「社員価格で買うより全然安い」と絶句してたそうだ( YUKO 談)

そして約1週間後、新たな空気清浄機が届く。"さっそく書斎に設置" といきたいところだが、やはり電源コードを床に這わせたくない!! そこで休日にまた DIY。電源の延長コードを買ってきて、タイマウントにくくりつけた。
その作業も何とか終わり、ようやく空気清浄機が作動!! これで我が家の空気は一層きれいになることであろう。

11月12日、エアコンクリーニングの業者に来てもらう。先々月にもお願いした「東芝系のメンテナンス会社」の方だ。といってもクレームでは無い。前回の作業が丁寧だったので、書斎のエアコンもクリーニングしてもらうことにしたのである。

ちなみに今度のエアコンは東芝製だ。つまり今日の業者さんと同じ。
実はこのエアコン、私の入院中に「リコールのお願い」がきていた。しかしそれどころでは無いということで、そのままほったらかしに!! 当時、書斎はカオス状態になっていて、足の踏み場も無かったせいもあるが。。。 ということでクリーニング依頼の電話の際、ついでにこの修理もお願いしてみた。返事は、OK とのこと。
なお今回も数時間かけて、丁寧に洗浄 & 修理をしてくれたらしい (これも私は別室に避難していたので、YUKO から聞いた)。
なにはともあれ、これで書斎でも快適で清潔な冬を送れるだろう。感謝感謝!!

話は変わって、11月15日。3週間ぶりの通院日だ。今日は歯科に行かなくてもよいのだが、代わりに骨髄穿刺(マルク)がある。。。
いつもの採血の後、詰所前で待っていると看護婦さんが呼びにきた。この看護婦さんは元々、血液内科の入院患者担当で、大変お世話になった方だ。私の退院後しばらくして、内科外来の担当に代わったらしい。

実は退院後にマルクを受けるのは初めてなので、どんなところでやるのかちょっぴり不安だった。でも案内されたところは、しっかり隔離された場所だったので一安心。
その後しばらくして、K先生が来られる。いよいよマルク開始だ。
約3ヶ月ぶりだもんな。大丈夫かな? と思っていたら、あっさり終わってしまった。何と今まで以上に痛くない(でも痛いけどネ)。いつもは骨に穴を開けてる感じが分かるのだけれど、今回は気づかなかった。これから開けるのかな?、と思っていたら、もう終わってたという感じ。

マルク後、30分は横になったまま安静。その後しばらくして、診察となる。今回の血液データも異常は無かった。白血球数は 3860個/μl で結構増えてるし、赤血球と血小板の数値も上がっていた。いい兆候だ!!
診察の最後で K先生は、
「今日はベサノイドを出しときますので、明日から飲んでください」
「その他、別の薬も入りますか?」
と言われる。別の薬については、その時何の気なしに「入りません」と答えてしまったが、それがのちに後悔することになるのだ。
そして診察終了。次回の(血液内科)通院日は12月6日。

この後、病院を後にして処方箋薬局へ。ベサノイドを貰いにいくためだ。既に書いているが、ベサノイドとは "急性前骨髄性白血病" の特効薬。「維持強化療法」の代わりとして、3ヶ月毎に飲まなくてはならない薬だ。
ところが受付後、待てど暮らせど呼び出しが無い。そしてやっと呼ばれたと思ったら、4日分しか無いとのこと。2週間服用しなければならないというのに。。。 結局、残りは明日郵送してくれることになった。
ちなみにこれも前述したことだが、急性前骨髄性白血病にかかる人は非常に少ない。つまりベサノイドが必要な人はごくわずかなのだ。ということで、薬局に蓄えが無いのもしょうがないことなのだろう。。。
そして帰宅。当日はマルクによる身体への負担も考え、仕事を休むことにした。

翌日の16日からベサノイド服用。翌17日からは頭痛がするようになった。この時点で当サイト(長いこと入院してたのダ)を読み返してみると、前回のベサノイド服用の時も頭痛が発生しているではないか!! (「13. 退院へ」を参照)
やはり前回のもベサノイドの副作用だったんだナ。というより、すっかり頭痛が起きることを忘れていた。15日の診察の際、せっかく先生が「別の薬も入りますか?」と言ってくれてたのに、なんてこった。。。
とりあえず手持ちの頭痛薬(ロキソニン)を飲むことにする(このロキソニンは以前病院でもらったものの "残り"。原則として市販の頭痛薬は飲んではいけないらしい?)

18日の朝になると、ますます頭痛がひどくなってきた。1日3回ペースだ(これ以上飲んではいけない)。このペースだと手持ちが3日ぐらいしか無い。絶対に足りないノダ!!
しかたがないので病院にTEL。K先生が電話に出てくれたので、ロキソニンをすぐ欲しいと陳情した。そうしたら処方箋を出しておきますということだったので、YUKO に取りにいってもらった(その時、私はどうにか仕事していた)

ちなみに頭痛のピークはその週末(19, 20日)。その後、頭痛は幾分やわらいできたのだが、熱が出てくるようになる。次いで24日ぐらいになり、ようやく頭痛、発熱とも弱くなってきた。ベサノイドに慣れてきたのだろうか???
そのベサノイド服用も、終了まであと少しである!! 頑張るノダ!!!

そして週末の26日。だいぶ元気になってきたので、ドライブに行くことになった。約1ヶ月ぶりのドライブだ。今回の行き先は大分県中津市。福沢諭吉の生まれ故郷で知られるが、知る人ぞ知る「からあげ」の激戦区でもある。ということで、今日の目的は「からあげ店」めぐりだ。
とはいえ通常のルートで行かないのが我が家のモットー。通ったことのない道に行くのが楽しいのである。今回もマイナーな道を突き進み、中津に到着(運転してたのは YUKO であるが)。片っ端から「からあげ店」をめぐった(店のリストと住所は、ネットで検索済み)。
そして夜になり、ようやく自宅に戻る。夕食は当然「からあげ」である!!!!

11月29日、歯科の通院日。最後の治療歯(奥歯)に対して型を取る。もちろんこの歯にかぶせる冠を作るためだ。次回の治療は血液内科の通院日と同じく 12月6日。この日、歯に冠をかぶせる予定。

ちなみにこの29日は、ベサノイド服用の最終日でもある。夕食後、最後のベサノイドを飲む。ようやく終わり、ホッとした。。。
また3ヵ月後には、飲まなくてはならないのだけれど。。。。。


2005年12月1日 - 12月31日

12月3日、ドライブ。今日は大分県日田市にある国道バイパスの開通日だ。ネットで検索した情報等から開通時間は PM3:00 頃と推定。それまでは、そこから少し外れた位置にある浮羽近辺で時間をつぶすことにする。

ところで浮羽には名水スポットが何箇所もある。ウチは(私が入院する前から)そういう名水を汲んできては、料理用の水などに使用していた。そして "入院中の外泊時" や "退院後" は、一層そういったことに気を使っているのだ!!
これは水道水より健康にはいいだろう、と判断してのこと。とはいえ、名水を飲んでいても白血病になってしまったわけで、真偽の程は定かではない。。。
でも、とりあえずペットボトルのミネラルウォーターよりはずっと安いし、今後も続けるつもり。当日もこの名水を汲んだりして時間をつぶした。

その後 PM3:00 が近づいてきたので、バイパス付近まで行ってみる。すると開通は PM5:00 の予定と書いてあるではないか!! しょうがないので、また別の場所で時間をつぶすことにする。
そして PM5:15 頃、再度、バイパスに到着。今度は開通していたので、もちろん通ってみた!! ただもう既に薄暗くなっており、景色が良く分からなかったのが残念である。
なお新道好きも私でも、開通直後の道を通ったのは初めて!!
ちなみに12月は毎週のようにドライブをしていた。近場に新しいルートがいくつも開通したのが理由だ!! 新道が出来たら、どうしても通ってみたくなるんだよネ。

12月6日、通院日。久し振りに血液内科と歯科の両方に行く。
いつものように採血を行った後、歯科へ。今日は「(先々月まで存在した)親知らず」横の奥歯に冠をかぶせる日だ。特に何の問題も無く、処置が完了する。その後、歯科の先生から、
「今日で治療は完了です」
と言われた。要するにもう歯科に通わなくていいのダ。メンドウなことが一つ減って、非常に嬉しい!! そして歯科の先生、どうもお世話になりました!!!

その後、しばらくして血液内科の診察。11月15日に行った骨髄穿刺(マルク)の結果を教えてもらう。今回も陰性だった。再発の兆候は見られないということだ。どうかこのままいってほしい!!
血液検査の方も問題無し。というか入院時から今までで、初めて白血球数が 4000個/μl 台になった( 4090個/μl )。赤血球、血小板も微増。順調な回復だ。
次の通院日は12月27日。なお次回は3週間後だが、その次からは1ヶ月(4週間)毎で良いとのこと!! 非常にいいペースである。

12月11日、親友の K君が関西からやってきた。私の退院後の様子をわざわざ見に来てくれたようだ。ちなみに K君は入院時にも見舞いに駆けつけてくれている。重ね重ねどうもアリガトウございました。
昼食は退院後初めてとなる(お店の)博多ラーメン。ただし本当は小倉発祥の久留米ラーメン(?)なのであるが。。。 ココでは退院後、初となるタバコの煙の洗礼を受けた。臭くて、腹が立つ!!
夕食はチェーン店の居酒屋へ。もっと旨い店はいくらでもあるのだが、完全分煙の店はここしか無かったのである。完全分煙という情報はネットで得たのであるが、実際には完全では無かったのが残念!! 禁煙席なのになぜか灰皿があるし、どこからかタバコの臭いが漂ってきたし。。。

その翌日の12月12日、タラバガニを食す!! お歳暮としてネットで注文したついでに、我が家の分も買ったのだ。ゆでガニ、旨ェ〜。焼きガニ、旨ェ〜〜〜。大満足であった。
それにしても、こんな生モノも喰えるようになったんだナ!! そう思うと、旨さも倍増である。

12月18日、温泉に行く。ウチで温泉といえば、家族風呂のことだ。九州はこの家族風呂が多くて、大変良い!!
今回も、今まで行ったことの無い家族風呂に行ってみた。運良く露天風呂が空いていたのでソコにする。山沿いにある温泉なので、すごく景色がイイ!!
当時、数日前から九州には寒気団が舞い込んできており、時々雪も降っていた。その日も温泉のある場所では時々雪がパラつき、また湯船から見える山々は冠雪している、といった状態だったのである。
ということで、思いもよらぬ雪見風呂と相成った!! 非常にラッキーである(寒かったケド。。。)

その後もしばらく寒気団は居座り、ウチでも数cmの積雪があった。こういう状態だったので、山の方では道に凍った雪が長期間残ることになる。ということで、その後のドライブでは何度もアイスバーンに遭遇した。ノーマルタイヤ(もちろんチェーン無し)なのでビビる!!

12月20日。昨年の今日は HI病院に入院した日。その頃は長期入院になろうとは思いもしてなかったナ。良くぞ頑張ったモンだ、と我ながら思う。もちろん YUKO およびその他の方々にも「どうもありがとう」と言いたい!!

12月24日、クリスマスイブ。「小布施ワイン ホイリゲ」で乾杯!! ケーキも旨い。
去年は入院してたので、ケーキも「限定ワイン」も無かった。それと比べれば、雲泥の差である。
でも「昨年のクリスマスは悪いことばかりだった」わけでもない。前向きに考えると、去年のサンタ(?)は「明日、転院してください」というメッセージを持ってやってきた、ようにも思える。コレがなければどうなっていたか分からなかったわけで、つまりこのメッセージは最高のプレゼントであったノダ!!!

翌日の12月25日は「転院&告知」記念日。白血病と分かって、今日で丸一年となる。さらにこの病気とは今後も向かい合っていかなければならないのである(現在、寛解を維持しているとしても。。。)
ということでこの日は、病気に対する姿勢を思い出す記念日としたい!! そしてこの気持ちはずっと持ち続けていたい、と思っている。

12月27日は通院日。いつもと同じ診療パターンであるが、今日からは歯科治療が無い。
本日の白血球数は、3590個/μl。再び 3000個/μl 台になってしまったが、特に問題も無し。当分 3000個/μl 台前後で推移すると考えていいみたいだ。赤血球、血小板もほぼ現状維持。
なお次の通院は2006年1月24日である。すなわち予定通り、4週間毎の通院となった。

翌日の12月28日は仕事納めの日。復職して丸二ヶ月間働いたことになる。復職直後はすぐに疲れたり貧血になったりしてたけど、この頃はほぼ普通に働けるようになった。でも無理は禁物なので、残業は当分無しということで。。。

そして2005年12月31日、大晦日である。
この朝、おせち料理「小樽銭函御膳」が届く。今年の正月に喰えなかった「北の漁師膳」と同様、"海の幸" 満載の「おせち」だ。昨年のリベンジである。

そしてまもなく年が変わる時刻。"NHK ゆく年くる年" を見ながら思う。
「今年は大変な年であった」
「来年は平穏無事に過ごせるといいな」
等々。。。

このようにして、怒涛の2005年は終わりを告げたのである。。。。。




(C)2005-2010 EISHIN All Rights Reserved.