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![]() [メールフォーム] [更新履歴] 続編: [些細な出来事なのダ]
[些細な出来事なのダ] に続く...
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![]() HS病院に入院した当日〜翌日にかけて、YUKO は身内や会社に「私の状況」を連絡してくれた。 しかしその他の人には敢えて何も言わなかった。白血球数が少ない時にあんまり見舞いに来られても困るし。。。 ただ「年末に急遽長期入院しましたので、年賀が遅れて申し訳ありません」という年賀状を出したので、それに対し返事をくれた方にはレスポンスしないわけにいかない。というわけで状況を知らせることにした。 ところで、本当にいろいろな人にお見舞いに来て頂いた。遠方で見舞いに来れない方からは何度も「励ましのメール」が届いた。ここに感謝致します。 なお「寛解導入療法」の後(地固め療法の時)にもお見舞いがあった。しかし圧倒的に寛解導入療法の時に多かったので、「"地固め療法"の項」の前にまとめて記することにする。 ちなみに HS病院は病室に「花」を持ち込むことを禁止している。また私は「生禁」である。そういった土産は無しでネ、念を押した。。。 ◎ 両親 唐突であるが、私の出身地は北陸地方である。そして両親はずっとそこに住んでいる。 YUKO が(両親に)電話したのは入院翌日(2004年12月26日)の朝だったにも関わらず、27日に駆けつけて来てくれた。年末で忙しかっただろうに。。。 まったく親はありがたい!! 両親(特に父)は、患者本人である私より落ち込んでいるように見えた。私は身体がキツイので、なるべく明るく振舞うだけで精一杯。しかもこの時は「無菌室」にいたので、あまり話せない。 滞在は2泊3日の予定。最終日(29日)の朝、「また来るネ」と言い残し、北陸に帰っていった。。。 次に来たのは、1月上旬。早い!! それほど心配しているということなのだろう。この時は既に「クリーンルーム」に移っていたので、いろいろ話すことができた。抗ガン剤投与前だったし。。。 今回も2泊3日。というか毎回2泊3日で来ることが恒例となった模様。 結局、両親は入院から退院までの間、4回も来てくれた。私の方も「地固め療法」以降、比較的元気なときが増えてきたので、少し安心したようだった。 ◎ 身内(両親以外) 私は男ばかりの三人兄弟の長男だ。 弟夫婦二組は、それぞれ仕事の合間を縫って、見舞いに来てくれた。どちらも遠方(北陸と首都圏)なのに、サンキュー!! YUKO 側の親戚にあたる Iさん(福岡県)は3回も来て下さった。義妹の Sさんは山陰から来てくれた。 どうもありがとうございます。 ◎ 友人 まずは福岡県の友人から。 T君、友人の中で真っ先に来てくれてアリガト!! YUKO の友人の Hさん、Jさん、KCさん。せっかく来てもらったのに、1分間ぐらいしか面会できなくてスミマセン。この時はかなり身体がきつかったのだ。 そして親友の K君。わざわざ関西から駆けつけてくれた。どうもアリガトウ!! 土産のCDは、ちゃんと聴いてますヨ。 また私が外泊中(4回目)の時に来てくださった KMさん、Yさん。留守にしててスミマセンでした。 ◎ その他 HI病院で同室だった、YN氏が尋ねて来て下さった(2回)。おしゃべりのために来られたみたいですね(笑)。ありがとうございます。 しかし転院先を知らせて無かったのだが??? とにかく、皆様どうもありがとうございました!!! 追記) 私の見舞い客は、民間療法を勧めたり、宗教勧誘をしたりする人がいなくて本当に助かった。どちらも嫌いなので、こういったメールは送ってこないでくださいネ。タダの水掛け論になって時間の無駄になるだけですので。。。 しかし「お守り」を下さった見舞い客(2人)のご行為は嬉しかった。わざわざ神社まで行って、買ってきてくれたわけだから!! 私自身はお守りの効果を信じているわけではないが、彼らの気持ちを汲んでベットから見える場所に置かせてもらった。
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